岩手県石鳥谷町(花巻市)出身。1993年3月福島大学 経済学部卒業。1993年4月に石鳥谷役場(現・花巻市役所)に入庁。役場では、商工観光課、健康福祉課、建設課、教育委員会、振興センター(地区の公民館)、地域福祉課、秘書政策課などを経験。地域福祉課でケースワーカーとして地域住民と関わる中で、高齢男性の社会的孤立に強い問題意識を持つ。2018年8月花巻市地域おこし研究所の設立に伴い、研究員に就任。2019年4月慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程入学。
● | 2018年8月 | 花巻市地域おこし研究所 研究員 就任 |
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● | 2019年4月 | 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程 入学 |
● | 2019年4月 | 地域おこし研究員 就任(第7号、花巻市) |
● | 2021年3月 | 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程 修了 |
私は、生まれも育ちも石鳥谷(いしどりや)地区です。長男ということもあって、家を守ることや将来的には両親の面倒をみなければ・・・という思いがあり、他県で学生生活を送った4年間以外は、ずっと石鳥谷に根をおろして生活しています。
大学卒業後は旧石鳥谷町役場に入職し、最初に配属された商工観光課では、在京の石鳥谷出身者の故郷会、保健福祉課ではがん検診や予防接種など事務仕事、データベースを構築したり、建設課では市営住宅の管理を担当しました。その後、2005年に石鳥谷町、花巻市、大迫町、東和町、花巻市が合併して花巻市になってからは、教育委員会で校舎の修繕を担当、振興センターに配属された時には、花巻市の全地区を対象に進められた住民自治組織の立ち上げに携わりました。現在の地域づくり課に異動するまで3-4年くらいの間隔で、比較的、住民に近い仕事を経験してきました。
花巻市役所に異動して2つ目に経験した地域福祉課で、生活保護の担当になりました。そこでの経験が、現在の研究や考え方にも大きく影響していると思います。地域福祉課での主な仕事は、ケースワーカーとして生活保護受給者の相談を受けたり、すでに受給している人を家庭訪問したり、自立に向けた支援をするというものです。仕事内容は多岐にわたっていて、知らないといけないことが多いんです。医療制度やサービスはもちろん、介護や知的または身体障がいを持つ方への制度やサービスなど、専門家や施設への橋渡しと言えばそれまでですが、仕組みや制度を理解していないとできません。そして生活保護だけでなく、身元が分からず亡くなった方を引き受けるのも地域福祉課の仕事です。これまで担当したどの仕事とも違い、人が生きていくことや死に直結している仕事でもありました。
生活保護を申請する人というのは、非常に幅広い。単に収入が低いということで一括りにすることはできません。慢性的な疾患を持っている人、知的または身体的な障がいを持つ人、シングルマザーなど、さまざまな理由で地域福祉課にいらっしゃいます。ちょうど私が担当になった頃は「リーマンショック」(2008年9月15日にアメリカの投資銀行大手「リーマン・ブラザーズ」が倒産したことをきっかけに起こった世界的な金融・経済危機。完全失業率は2009年7月までに5.5%まで上昇した)が起きた1年後で、花巻市でも生活保護の申請が非常に多い時期でした。覚えることが多いのと同時に申請者が多く、たいへんな業務量でした。私は2日に1回は受給者を家庭訪問して、困りごとがないか聞いたり、解決方法を話し合ったりしていました。実はその時、私よりも年の若い職員の方が、受給者の間で人気だったんです。家庭訪問では、お金や仕事の話だけでなく、家族のことや病気のことなども話すことがあります。私たちにできることは、どんなことでもやろうと思いますが、中にはどうにもできないこともあって。でも、その若い職員は、ただただその人の話を黙って聞いている。何もできないし、解決するわけではないのですが、受給者は彼に話すだけ話すとすっきりした顔をして満足されていました。その時、相手の話をただ聞くだけで良かったのか、という驚きや気づきと同時に、行政がやれることは本当に少ない、むしろできない事の方が多いのだ、と痛感したんです。
その後、秘書政策課に移動し、2018年8月から「花巻市地域おこし研究所」の研究員として活動することになりました。最初に「やってみないか」と声を掛けられた時には驚きましたね。もっと若い人がやるものだと思っていましたから。ただ、地域福祉課での経験や行政が新たな事業を始めようとする時、全国各地の成功事例を横展開することが多く、それってどうなんだろうな・・・・と思っていました。地域によって事情は異なるし、同じ型をそのまま展開するということが花巻市に根差したものになるのか。隘路、行き詰まりのような感覚もあり、研究所や大学院で学ぶことで抜け出せる方法を見つけられるかもしれないと思いました。
花巻市地域おこし研究所では、私と同じく大学院に入学した吉田真彦くんを含めた4人の職員が、各自のプロジェクトを作り上げ実践しています。ある職員は、「対話」という手法をスポーツの指導に取り入れたり、またある職員は高校生と花巻市で活躍する大人との接点をつくるために「対話」を活用するプロジェクトを実践するなど、行政だけではとても思いつかない方法で進めています。これまで地域住民と何かしようとする時、納得してもらうために「説得する」ことが当たり前でした。ですが、プロジェクトの成果を聞くにつれ、お互いの話を聞き、受け入れるという対話のプロセスが相互の理解を深めるだけでなく、行動も変えていくという意味で大事であることがわかってきました。
2019年4月に入学してから約10か月間は、大学近くに住みながらキャンパスに通いました。授業によっては、親子ほど年が離れている学部生と一緒に受講することもありました。最初は大丈夫かな、と思っていのですが、グループワークが始まると学部生は遠慮も気後れすることなくよくしゃべり・・・私の方が面喰いました。「あぁ、こんな感じだったかな」と久しぶりに学生らしい生活を送ることができたと思います。
2020年に入ってからは、新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、花巻市からオンラインでゼミや研究を進める日々です。そうしたこともあって、同期の院生数名と「自主ゼミ」を始めました。ただ話をするだけの日もありますが、どうやって研究を進めていくか、課題はどのように考えていけばよいのか、お互いの考えを共有するようなことをしています。研究の進め方もそれぞれの答えの導き方も様々ですが、私にとっては自分が考えていることが間違っていないか、彼らと話をしながら確認するような時間になっています。
私は、公民館を担当していた時に出会った、八日町地区の「つるし雛」サークルを研究対象としています。このサークルは、八日町地区に住む女性数名ではじめた小さなものですが、リーダーを中心に作り上げたつるし雛の展示が評判になり、十数年の間にひな祭りの時期には約2万人が見物に来る程の、大きなお祭りに成長しました。しかも、行政が補助金を出したわけでもなく、サークルのメンバーやその家族、ご近所の方々ができる範囲で会場づくりや当日の交通の整備をするなど、全て「手作り」で行っているのです。もともと観光資源あるわけでもなく、市町村合併で小学校もなくなってしまった地区ですが、今では誰に聞いても八日市といえば「ひなまつりをやっているところだね」と言ってもらえる。サークルのメンバーは、何もないところからテキストを読んでコツコツと膨大な数のつるし雛を制作し、それがいつの間にか市を代表する催しになってしまったのです。そこが面白い。
儲けを出すようなビジネスでないけれど、自分たちのできる範囲で楽しみながら、無理なく続いていく仕組みつくるにはどうしたらよいのか。さらに、その仕組みが地域の中で良い影響をもたらすものであるなら、なお面白いなと思っています。新型コロナウイルス感染拡大の状況下で、今はインタビューや資料集めを続けていくことには、難しい側面もありますが、サークルの方々やお祭りにかかわった地域の方々などから話を聞いて、まとめているところです。
大学院で学ぶ過程で、普段の仕事に対する考え方は変わってきたと思います。資料やデータの探し方、扱い方の視点が変わりました。事業一つにとっても課題の見方、解決の仕方が本当にこれでよいのだろうか、単なる思い込んでいるだけではないか、他の視点がもっとあるのではないか・・・と考えることができるようになりました。アプローチの仕方もずいぶん変わったかもしれません。修了まであと数か月、悩んでいる暇はありません。何とか形にするために必死で研究を進めていきたいと思います。