Researcher

豊かな資源を、地域の中で循環させるしくみづくりを目指して

駒井 恵太(こまい けいた)

ドイツハンブルグ出身。2019年3月慶應義塾大学総合政策学部卒業。大学では、オーラルヒストリーという手法を用いて老舗の女将さんについて研究した。また、地域外の人が「好きな時に、好きな形で」地域住民と関わることができる場づくりを目指し、有志と東京都豊島区東長崎の空き家を活用した「OKARA(おから)」を立上げ、運営に携わる。2019年4月慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程に入学。大崎町の地域おこし研究員に就任。大崎町の地域おこし研究員に就任。

2019年4月 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程 入学
2019年4月 大崎町 地域おこし研究員 就任(第10号)
2021年3月 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程 修了
教育者になりたくて

慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスに入りたいと思ったのは、教育者になりたかったからです。3歳からずっとテニスを続けている中で、自分が試合に勝って成果をあげるよりも、他の選手の力を高めていく方が好きだと思っていました。教育学部で先生を目指すより、心理学やコーチングなどを複合的に修めた教育者になりたいと思って、大学受験でSFCへの入学を志しました。

SFCでは、テニスの同好会に所属していました。その中でも師匠とも呼べる当時4年生の先輩との出会いは大きなものでした。練習でも試合でも、「なぜ、こうしたの?」「なぜ、このポイントを取られたと思う?」と毎回問いかけられて。答えを手っ取り早く与えるのではなく、私自身が答えの本質に気づくまで何度も質問を投げかけてくださる根気強いものでした。「答えの本質を突き詰める」ことを繰り返した結果、慶應の同好会全体の大会で優勝することができたんです。師匠から伝授された考え方の枠組みを活用して、同好会の仲間にもコーチングを実践していきました。それから、教育者という職業以上に「人と根気強く向き合う」こと自体に興味を持ち、心理学やインタビューのゼミに入って、オーラルヒストリー(口述歴史)というインタビューの手法を学んでいきました。

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根無し草と女将さん

オーラルヒストリーは、近代史上の出来事をより立体的に把握するために開発されたインタビューの手法です。この手法は、主に政治学の分野で関係者から当時の詳細な情報(出来事を引き起こした人々の心の機微や動きなど)を得るために使われていましたが、政治学に限らず使える手法ということで、僕は「女将さん」について調査をしていました。

僕は、食べることが好きです。両親からも「食べることだけはケチるな」と育てられました。大学生になって時間もお金もある程度自由に使えるようになると、様々な飲食店に行くようになりました。そこで女将さんや大将に話しかけると、話が盛り上がって営業が終わっても飲み続けるくらい可愛がってもらえることが度々あったんです。僕は、父がメーカーの海外事業部で働いていた関係で、幼稚園の卒園までドイツのハンブルクに住んでいました。当時のアルバムを見ると、スイス人の子の家で馬に乗ったり、ホームパーティーをしたりしていた記憶がよみがえります。でも、ドイツで仲の良かった友達とは、今はつながってはいません。小・中・高と電車通学だったので、近所に友達がいませんでした。「根無し草」のような自分は、訪れた飲食店で飲食するだけでなく人とつながることを求め、自分なりに様々な店と主人のスタイルを楽しむようになりました。

こうした中で、特に年配の女将さんは、ただ料理を出すという作業を超えて、お客さんに対して愛情を持って向き合っていることに興味を持ち始めました。「しょんぼりと入ってきたお客さんが背筋を伸ばして帰ってもらえるように、『いらっしゃい』っていう言葉の出し方一つにも気を付けている」と聴いて。店の経営や新人の教育などの業務はこなした上で、一度お店に立てばお客さんのために120%力を注ぐ。単なる接客とも異なる女将さんのあり方が興味深く、調査するようになりました。その過程で、女将さんは他人がつくった店に立たされているわけではなく、先祖から受け継がれた場や、自身が思いを持って立ち上げた場だったからこそ、誠意ある仕事ができるのではないかと感じたんです。そこで、自分も自らの思いから場を立ち上げていきたい、と思うようになりました。

そこで、思い切って大学を休学して、1年間という期限の中で場づくりをやってみることにしたんです。

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何としても、形にしたい

運良く、空き家をお金が回りつつ人々に喜ばれる拠点に変えるために必要な事業内容・改修プラン・収支計画を3日間で考えるプログラムに出会い、参加しました。そこで、偶然にも自分の近所である豊島区の物件が割り振られたんです。プログラム終了後には、意気投合したチームメンバーと事業化することになりましたが、なかなか歩みが進まず。僕は「なんとしても形にしたい」という思いがあったので、建築家を志す友人を仲間に引き入れて、やり遂げることにしました。

途中、物件の契約が難航して、もう無理なのではないかと思うこともありました。でも、作業している僕らを見ていた近所の人たちが協力してくださったり、ごはんを食べさせてくださったり・・・。よそ者であるはずの僕らに警戒することなく手を差し伸べてくれました。そうして立ち上がったのが「OKARA(おから)」です。地域外の人が「好きな時に、好きな形で」地域住民と関わることができる場です。「都会の別荘」のような感覚でいろんな人に利用してもらいたいなと思っています。運営管理するのは僕と友人ですが、近所の皆さんの愛情で成り立っているような場所です。

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理想と現実とに迷いながら

大学院に進学しようと思ったのは、OKARAのように、自分が突き詰めたいコトを自ら立ち上げられるのは、社会人1、2年目ではできないだろうと思ったからです。特に「地域おこし研究員」は、地域と自分が関わりやすくなる仕組みではないかと思っています。就職して力を蓄える以上に、早くフィールドで自分のできることを形にしたいという思いがありました。

4月に大学院に入学したと同時に、鹿児島県大崎町で地域おこし研究員として活動しています。僕は、女将さんの研究やOKARAの活動を通じて「食べる」ということに関心が強いので、生産者と食べる人をつなぐことを事業として、そして研究として取り組みたいと考えています。でも、いざ地域へ入ってみると、想像以上に自分の持つ力やリソースがゼロだと痛感しました。町に呼び込むことで利益のあるプロとのつながりは少ないです。社会人経験がないので、プロジェクトマネジメントみたいな経験もない。地域に入れば何でもできると思ったけど、できることは少ない。これは地域にとって役に立つことなのだろうか、研究としての新規性があることなのか・・・。自分の立ち位置に迷ってしまうこともありました。

でも、大崎町の地域おこし研究員として就任してからの数か月間、活動のフィールドがぐんと広がりました。まちを動き回り、さまざまな職種、立場、領域の方々と出会って自分がバージョンアップしているという実感があります。料理人と新しい挑戦をしたい生産者と共にイベントを実施したり、食料生産に防風・防砂効果を持つ松林が不可欠なことを知り松林の維持についてプロジェクトを進めたり。たくさんの人に大切にしていただいたな、と思っています。

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地域の中で人や資源、経済が回り元気になる仕組みを

学部生からSFCに通っていましたが、学部とは学び方が異なるように感じます。学部以上にタフな授業が多く、課題も多いです。また、授業のベクトルが個々人の研究に向いているので、講義でも自分の研究に寄せた発言を求められることが多くなりました。そして、仕事を持つ学生がほとんどなので、それぞれの現場に関する具体的な情報や考えを聞けるのが魅力的です。

大崎町の中を動き回ることで見えてきたのは、飲食店がスーパーで食材を仕入れていることです。野菜はもちろんのこと、焼酎も町内で見かけることが少ないです。まちの資源がまちの中で消費されていなかったのです。今まで接点がなかっただけで、食材を仕入れることができれば楽だろうし、「それが出来ればうれしい」といった声も聞きました。そこで、今は町内の生産者とプロに限らず日常的に料理をつくる人をつなげ、地域内で大崎町の豊かな産物を流通させ、小さくても経済が回る仕掛けが創れないかと考えています。

大崎町の様々な人とお話しする中で、町内にいる同士なのに会ったことがないというケースが非常に多いことを知りました。出会っていれば明らかに面白いことが起きそうなのに・・と感じます。残りの1年で、人をつなげ、地域の中で人や資源、経済が回り元気になる仕組みを研究して成果を出していきたいです。

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(2020.01.17)

研究資料

参考