岡山県倉敷市出身。2017年に株式会社アイドマ・ホールディングスに入社。経営者・事業責任者との折衝、営業戦略及びスケジュールのKPI策定、事業企画の見積書の作成及び付随の契約書の作成・締結業務等に従事。2019年8月から、株式会社Go onを設立し、物流等の業務オペレーションの設計・構築、EC・Web、管理システム開発を主に受託。独自サービスとして、事業企画・分析調査をもとに業務代行サービス、在留カードの偽造チェックシステム、補助金・融資計画等の作成支援サービスの提供を行う。官公庁や大手企業より委託による茨城県牛久市、山梨県甲州市の観光庁誘客多角等事業、岩手県大槌町の地域活性化支援事業への事業参画の経験から、地域の中小企業の事業者へサービス提供を多角展開する。2022年9月に慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士課程入学。
● | 2022年9月 | 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程 入学 |
---|---|---|
● | 2023年5月 | 大刀洗みらい研究所 研究員 就任 |
● | 2023年5月 | 地域おこし研究員 就任(第22号、大刀洗町) |
● | 2024年9月 | 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程 修了 |
私は岡山県倉敷市のはずれにある小さな農家の家庭で生まれ、育ちました。幼少期から見慣れてきた水島臨海工業地帯の風景は、戦争の遺産や軍事基地の名残が色濃く残る地域であり、医療関係者が多く住む街並みでした。そのため、小学生の頃から医学の道を目指し、医者になる夢を抱いていました。しかし、東日本大震災の災害派遣に参加する自衛官の一人ひとりが危険な状況でも、勇敢に救助活動を行う姿を見て感銘し、国防の道を志すようになり、防衛大学校に進学しました。
防衛大学校での訓練は、体力的にも精神的にも過酷でした。在学中には、私は防衛に関する主要装備の素材となる鋳造技術の研究にも没頭しました。そして、特許取得や学会での発表など、研究活動にも熱心に取り組みました。しかし、訓練中の不慮の事故により、怪我を負ってしまい、自衛官としての夢を突如として絶たれました。その後、途方に暮れる日々を送り、卒業後の進路や新たな未来への一筋の光さえ見出せない時期がありました。
防衛大学校の訓練後に同期らと
しかし、そんな時に、ある一人の経営者との出会いが私の人生を変えることになりました。彼の事業活動を通して、社会の課題解決を目指す姿は、私が幼少期に目指していたように、仕事を通じて社会の問題を解決する医師の姿や自衛官の活動精神と重なるものがありました。この出会いがきっかけで、私は経営者としての道を選ぶこととなり、今の私が存在しています。
その想いを胸に、挑戦者として、ベンチャー企業に飛び込み、様々な企業の事業戦略の支援を手掛けた後、学んだ知識と経験を武器に、自らのビジネスを起こすことに踏み切りました。経営者・事業責任者との折衝で培った戦略立案やクラウドソーシングを駆使しながら、Webやアプリのシステムを受託開発する事業を開始しました。この事業活動から、日本でのチャンスに恵まれない才能ある外国人材や家庭にいながら働きたい主婦、能力が見過ごされがちな学生たちに、新たな機会を提供し、道を拓くことに邁進していました。私はさらに視野を広げ、積極的にフィリピンで貧困層支援のための国際協力活動への参加や、国際士官候補生会議(ICC)にも出席をしました。
フィリピンでの国際協力活動で現地の子どもたちと
そこでは、日本で夢を追い働く外国人たちの苦難や絶望の叫びを聞き、痛感しました。彼らは理不尽な労働環境や生活の苦境に立ち向かい、生き延びるために在留カードを偽造するという極限状態に追い込まれていました。一方で、留学生や技能実習生を雇う企業側は、目視で在留カードをチェックしていましたが、これでは偽造を見破ることが難しく、不法就労助長罪のリスクがありました。その結果、企業は外国人労働者の立場を軽視しながらも、人手不足から悪循環の渦に飲み込まれてしまっていために、問題を複雑にしていました。
この問題に同時に対処するため、自社で在留カードの偽造をチェックするシステムを開発し、在留カードの偽造問題を無くすことで、外国人労働者の地位向上を目指し、日本で働きやすい環境を作るために尽力をしていました。さらに、日本で外国人が働くことが“当たりまえ”な環境となるように上場を目指すことで、資金調達をしながら、日夜、事業拡大に邁進をしていました。しかし、新型コロナウイルスの猛威が世界を席巻し、突如として技能実習生や留学生の入国が停止し、未曽有の事態が発生し、事業ピボットを余儀なくされてしまいました。
国連支援機関の一つである「国連支援交流協会(FSUN)」の認定証明
外国人労働者の雇用に依存してきた数多くの業界は、入国制限の影響で経営体制を変えざるを得なくなりました。その結果、私たちはコロナ禍の苦境をチャンスに変えるために、ITを活用し、企業が直面する組織上の課題に解決策を提供する新たな事業に転換しました。技能実習生や留学生サポートする登録支援機関、監理団体や支援機構と提携し、中小企業の生産性を向上のシステム開発を行いました。
その中でも、大手広告代理店とともに、国土交通省観光庁の観光事業として、山梨県甲州市や茨城県牛久市へ誘客支援や、農林水産省水産庁の地域活性化事業として、岩手県大槌町で特産品ブランド化の支援を、ITを活用しながらサービスの提供や開発を行いました。しかしながら、国や自治体の仕事は一年ごとに区切られており、地域の人々や地元企業が必要とし、望む支援とは裏腹に、予算を使い切るだけの作業になることが多々ありました。このため、地域の人々や地元企業にとっては何の恩恵も残らない“やりっぱなし”が常態化しており、本当の意味での支援ができないことに苦悩し、歯痒さを感じていました。
その葛藤に苦しみながらも、玉村雅敏教授の一冊の著書に出会い、心を震わせました。政策的な洞察力と地域ごとの大局観に圧倒されつつも、具体的かつ個別の地域課題に対する解決策を提示する手法は、まさに驚異的で、深く感銘を受けました。更に著書を通じて、地域とその住民にとっての価値のなかには、金銭的な尺度では測ることの出来ない、人間の暮らしに関わる多様な価値が含まれていることに気が付かされ、経済学だけでなく様々な学術分野の勉強が必要だと感じました。
玉村雅敏教授との対話の中で、先生のような視点や素養を身につけたいという思いが強くなり、慶應義塾大学の門を叩く決意を固めました。その想いは、今まで地域での取り組みから、一時的な取り組みでは根本的な解決にはならないことを痛感してきた中で、自らが現地で経験を積み、実践を通じて得た知識を活かすことで、より効果的なシステムを構築することができるのではないかという仮説をもとに、大刀洗町で地域おこし研究員としての職に就くことに至りました。
月1回の研究所ミーティングで活動の道筋が見つかることも多い
私の当初の大学院の研究計画では、企業の事業承継プロセスに「カーブアウト」という事業を切り出す経営手法を適用し、企業の新陳代謝を高めることで、地域経済を活性化させ、新たな人材の発掘・育成を進めていきたいと考えていました。しかし、地域固有の課題に適切に対応するためには、まずは住民や地元企業の声を聞きことが不可欠だと気づきました。そして、大刀洗町の市場や過去データの分析を行いながら、深く理解することから始めました。
私の熱意は、特に地元企業への支援に向けられており、町内の企業を一覧化し、その規模や業態を調べ上げ、直接訪問して生の声を集めることにしました。これは、地元企業へ一軒一軒訪ね、直接、経営者や担当者の話を聞きました。このアプローチは、ほぼ飛び込みの訪問ですが、これまでの経験から、慣れたものでした(笑)。
町内には300社以上の大小様々な法人事業者が営んでおり、その約半数を1ヶ月余りで訪れ、直接話を聞いたところ、浮き彫りになったのは、「人手不足」という切実な問題でした。公的な雇用支援機関であるハローワークは、人口の多い近隣都市の久留米市や小郡市に集中しており、大刀洗町の企業も町外での求人募集の活動を余儀なくされていました。一方で、町民からは、地元での就業機会が少ないという声が上がっており、地元での仕事が見つからず、苦労している現実も見えてきました。
そこで、私が始めたのは「大刀洗町求人情報等掲載事業」というプロジェクトです。この取り組みでは、大刀洗町内での企業の求人情報を集めて、役場の建物内やホームページにて、公開することを通じて、大刀洗町役場と企業間の新しい関係を築くことを目指しました。事業開始にあたり、募集を開始したところ、早速10社を超える企業から参加の表明がありました。
町内事業者や町民の声を元に作った求人情報の特設ブース
求人の掲載を通して、企業の方々へさらなるヒアリングを通じて、多くの町内の企業がまちづくりの活動への参加意欲はあるものの、情報不足やネットワークの欠如で実現が難しいことが明らかになりました。さらに、まちづくりの活動に参加している企業の多くは、企業ごと個別のものに留まり、広がりに欠けていました。さらに、大刀洗町には高速道路が通っており、物流会社、倉庫企業などのtoB企業が多いため、これらの企業はまちづくりの活動への参加機会やその活動へメリットを見出しにくい状況も重なっていました。
一方で、まちづくりの活動を行う町民や団体からは、企業の参加を望む声もありました。そのため、まちづくり活動への参加を企業に呼びかけることで、企業が地域へ参画を目指し、新たなまちづくり担い手となるように取り組んできました。町民やその団体と企業による協働したまちづくり活動を生み出していこうという試みとなります。
特に、企業による地域貢献となるまちづくり活動は多岐にわたり、経済の活性化、資源の有効活用、伝統的な祭りや行事の支援、地域の美化、防犯・防災対策、経済教育や職場体験の提供、地元の雇用創出や就労支援、医療や福祉、育児支援などが含まれます。
その中で、飲食店「やひろ食道」は、大刀洗町における初の子ども食堂を開設し、まちづくりに新たな一歩を踏み出しました。また、物流企業「株式会社ツルク」の従業員が農業支援に力を入れ、まちづくり活動に積極的に取り組んでいます。他にも、町内事業者と協力しながら、地元の農産物を町内で消費するために、事業所内に無人販売所の設置や事前予約販売システムの導入など、その活動をさらに深化させ、発展を目指しています。
子ども食堂は初回からにぎわった
これまで、まちづくり活動に関わることができなかった法人事業者から個人事業主まで、連携の幅も広げていきたいです。かつて、江戸時代や明治時代のように、まちづくり活動は地元企業や住民によって主導され、積極的に取り組まれていた時期がありました。
しかし、いつの間にか、時が経つにつれて、その役割は政府や地方自治体に移行していきました。そのため、企業やその社員が地域づくりに対して無関心であるわけではないにもかかわらず、地方自治体や地域とのつながりは薄く、実際どのように関われば良いか分からない不明瞭さも相まって、経済不況が続く中では、企業は明確な利益が見込めない中、まちづくり活動に参加する判断に至りにくいことが現状になっています。そこで、企業の考えるまちづくりを深く理解しながらも、まちづくり活動への積極的な参加を奨励し、具体的な参加方法を明らかにすることで、地域社会に新たな活力をもたらすことができる、まちづくりの新たな担い手を創出することができると私は確信しています。
町内事業所による農業支援の活動があった
私が大刀洗町に来て出会った人たちは、いつも心から温かく迎えてくれました。私をはじめとする町役場の職員や地域を活性化させようと奮闘する企業や町民が参加する「大刀洗みらい研究所」の活動拠点を提供してくださっている、家主の平田さんなんて、もう大刀洗の母ような存在です(笑)。
平田さんは、日々の食事や車を持っていない私の移動、町内での人間関係の築き方に至るまでいつも心配してくれて、頻繁に連絡をくれます。大刀洗町に来て、なんというか大げさでなく人生で初めて、人の優しさに触れ、人の温かさを知った気がします。
しかし、人口が減少する中で地域や社会が直面する課題は山積みで、こうした人たちが取り組む地域に根差した従来のコミュニティ活動だけでは、「ヒト・モノ・カネ」のどこを切り取ってもリソース不足になってしまい、限界があると感じます。それはあまりに勿体なく、大変残念なことです。
今後のまちづくりにとって、自分でリスクをとって事業に取り組むアントレプレナーシップをもった経営者たちやその企業こそが、まちづくりに主体的に参画していく必要があるというのが私の考えです。企業側の視点や経営者の考え方を持った私が、行政と企業、企業と住民との架け橋となり、良い連携を生み出す協力関係を築き上げることで、企業がまちづくり活動に主体的に取り組んでいく仕組みを創れると思います。さらに利害関係の少ないまちづくり活動をきっかけに異業種の企業同士もつながり、みんなで収益を挙げながら、町全体で稼いでいくような事業連携を生む、地域内経済圏が目標です。
大刀洗みらい研究所のメンバーと(最後列向かって左が山田さん)