Researcher

出身者が地元に恩返しできる仕組みをつくる

伊藤 玲緒(いとう れお)

北海道鷹栖町出身。2024年3月に慶應義塾大学総合政策学部を卒業。幼少時代よりクロスカントリースキーに打ち込み、旭川大学高等学校(現旭川志峯)在学中には2度の全国優勝をしている。SFC在学中には、全国各地の地域プロジェクト(域学連携)に参画し、鷹栖町元気プロジェクト(北海道)、大井町元気プロジェクト(東京都)、FM桐生プロジェクト(群馬県)、唐津プロジェクト(佐賀県)などに携わる。1年間休学し、北海道東川町で地域おこし協力隊として従事。産業振興課、経済振興課にて商工観光業を中心に様々な政策に携わる。現在は全国各地での実践的な活動の経験から東川町にて、地域おこし研究員として若者のまちづくりへの参画についての研究をしている。

KYODONEWS PODCAST「World Weekly」パーソナリティ
防災士

専門領域:まちづくり、地域イノベーション、若者(学生)関係人口、防災など

2019年4月 慶應義塾大学総合政策学部 入学
2024年3月 慶應義塾大学総合政策学部 卒業
2024年4月 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程 入学
2024年4月 地域おこし研究員 就任(第24号、東川町)
東川町で働き、飛行機で通学

私は現在、北海道の東川町役場で働きながら、慶應義塾大学SFCに通っています。飛行機を使った遠距離通学としてある番組にも取材され、一般的な大学生とはかなり異なる学生生活を送っていると思うのですが、大学で理論を学びながら、地方のまちづくりの現場で実践する機会を仕事として得られること、両立しながら研究することに非常に意義を感じています。

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とある番組にも取り上げられた

このスタイルにたどり着いたのは、コロナ禍がきっかけでした。私の地元は、東川町と同じく旭川市郊外に位置する鷹栖町なのですが、ある時知り合いの小学校の先生から「クロスカントリーの大会が無くなり、子どもたちのモチベーションが下がっている」という声を聞いたんです。私自身、幼少期からスキーをしており、毎週のように大会がある環境で育ったため、その機会が失われていると知って何とかしたいと思いました。元々まちづくりを学ぶ研究会に入っていて、大学の授業がオンラインになったこともあり、何か地元でできないかと考えていたタイミングでもありました。

そこで、スプリントレースを中心に、講習会や試乗会、スポーツ用品や飲食の販売もあるイベントの企画を立ち上げることにしました。協力いただけるところを探す中で、高校時代にお世話になった先生に繋いでもらって、当時の東川町長ともお会いしました。東川町は町長をはじめ役場の職員も、コロナ禍でもできる形を柔軟に検討して予算化してくださり、「Cross-country spirits 2021 inひがしかわ」というイベントが実現しました。さらに翌年は、大学の研究室の仲間など、雪をほとんど見たことのないような地域出身の大学生にも関わってもらい、単にスキーイベントを実施するだけでなく、東川町での暮らしを体験してもらうような企画にしました。

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大学生もスタッフとして参画し、参加者も大満足のイベントになった

この活動を通じて、東川町により多くの大学生が継続的に関わる仕組みをつくりたいと考え、「地域なんでも課(可)」というアイデアを、2022年の3月に町長や管理職のみなさんに提案しました。役場の一部局として、道外から大学生が入れ替わり立ち代わりやってきて所属し、例えば冬場であれば雪かきなど、地域の困りごとになんでも取組むという構想です。町長からは「東川町はすでに様々な地方創生の施策を打っているので、その施策の“穴”を探しながら、地域なんでも課のような若い世代が関わっていける事業提案をして欲しい。4月から役場で働かないか」と逆に提案をもらい、大学に通いながら東川町役場で働くという今のスタイルに至りました。

若者世代との連携をつくる

東川町役場では経済振興課に所属しています。商工観光業の推進や予算編成、事業の企画立案など、行政の一員として多岐にわたる課の仕事を担いながら、当初のミッションである「穴を見つける」ことにも取り組んでいます。この1年半で改めて見つけた「穴」のひとつが、東川町出身の若者(学生)たちとの連携です。

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施策の「穴」を見つけ、解決策を提案し、実行することがミッション

東川町では、企業版ふるさと納税を原資とした給付型の奨学金制度があり、道内外に進学する優秀な若者(学生)たちとの接点ができています。奨学金制度の利用者は約200人いて、そのうち約40人は東京の大学に行っているのですが、これまではそのつながりを活かせていませんでした。そこで、そうした学生に東京で開催される移住関連のPRイベントを手伝ってもらったところ、ブースに集まる参加者も若い世代が増え、興味を持ってもらいやすくなりました。もちろん東京のみならず札幌圏など道内でも行っており、2024年度は東川町近郊の皆さんとも連携をしていきます。また、若者(学生)にとっても、自分の地元をPRすることを通じて、地元の良さに改めて気づく機会になったと感じています。

今後はこうした町主催のイベントでの連携だけでなく、様々な形で大学生・若者世代と連携できる仕組みをつくることで、出身者がふるさと東川に誇りを持ち、応援したいと思える環境をつくっていきたいです。例えば、参加者の年齢層が高くなって存続の危機も危ぶまれている東川町出身者のコミュニティ「出身会」と連携して、東川町に関する様々なイベントを多世代で企画運営したり、出身者が一堂に集う「地域づくりキャンプ」を開催したりすることを予定しています。さらに、東川町が協定を結んでいるオフィシャルパートナー企業と連携したキャリア支援や、東川町のアンテナショップ「東川ミーツ」の学生による運営、さらに東川町にゆかりのある人がいつでも対面で交流できるようなサテライト拠点の整備などを構想しています。この構想をより深めて実現していくために、2024年度からは大学院に進学し、地域おこし研究員として活動をしています。

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東川町は各地でイベント出店をしている。日比谷音楽祭では東川町在住のカメラマンが東川町で作られた椅子と一緒に写真撮影してくれるブースを出店した。

地元に恩返しがしたい

実は高校入学当初は、大学院どころか大学に進学するつもりすらなく、卒業後は公務員になることを考えていました。高校はクロスカントリースキーで実績を出すために、強豪校のスキー部で指導を仰ぎたいと考え進学したのですが、指導者だった先生が退職し、顧問が居なくなってしまったんです。それでもなんとか強くなろうと練習を重ねた結果、高校1年生の時には全国11位になり、学業でも学年のトップ5には常に入りました。そこで、2年生に進級するときに特待生の申請をしたのですが、それが落ちてしまったんです。本当に悔しい思いをして「ここで卒業を迎えたくない」と思うようになりました。父に相談をしたら、あと1年スキーに集中して全国で優勝し、それで区切りをつけるのでも良いのではないかと言われて、とても悩みました。知人にも相談する中で、スキーを辞めるのであれば、北海道から出て祖父母が居る横浜の高校に転校したいとか、スキーで実績を残し、その成績で六大学に進学するとか、色々な選択肢が出てきたのですが、自分が本当にやりたいことに向き合って悩んだ結果、たどり着いたのは「自分は地方創生で故郷を元気にして恩返しをしたい。地元・鷹栖の町長になろう」という想いでした。向かうべき道が見えてむしろスキーの練習にも身が入ったのか、その年には全国優勝することもできて、その実績も活かして、地方創生やまちづくりについて多角的に学べるSFCにAO入試で合格しました。今はどんなに辛い出来事があっても故郷のためなら頑張れます。

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スキーがあったから今がある

当時は「何もない田舎」と思っていましたが、地元を離れた今は、北海道や鷹栖町、東川町を自信を持って紹介できます。東京に出たことで客観的に故郷を見ることができ「何もない」ということが輝いて見えてきたんです。東京と北海道を行き来する中で、何もないと言われる利便性が低い地域にも暮らしている人が居て、人が少ない分、自然は豊かで、町の人たち同士の横のつながりがあるということに気づきました。首都圏で暮らしていると、隣近所に回覧板を持って行って会話をすることすらありません。「ふるさとがない」と言う都市部出身の同級生たちに出会って、自分が当たり前だと思っていたことが、実はすごいことなのではないかと感じるようになりました。だからこそ、育ててもらった地元に恩返しをしたいという気持ちは強いです。

東川町のぶれないまちづくり

北海道は、道外に出ることに消極的な子どもが多く、道外の大学情報がなかなか手に入りません。自分は特待生になれずに悩み、多くの人に相談した結果、選択肢が広がって、今につながっています。そういう意味では特待生になれなかったことが、自ら相談し情報を集めるきっかけになったのではないかと思っています。だからこそ、自分の活動や生き方を通じて、地元の子どもたちに多様な選択肢を示していきたいと思い、母校の探究学習にも関わることになりました。将来の選択肢を広げつつ、町外・道外からでも関わり続けられる仕組みや居場所を作りたいと思っています。

そんな北海道の中で、東川町は「写真の町」という文化を軸に捉えて、まちづくりに取り組んでいます。全国的に注目される施策を、次々とスピーディーに実施しながらも、文化を軸にすることでぶれないまちづくりになっていると感じます。今では移住者が町民の約55%を占める中、町長は「移住者という言葉は使わない」と言い、移住してきたとしても、そうでなくても、地域の一員としての意識を大切にして、共に暮らしていく関係性をつくることの重要性を強調しています。

自治体職員は、「まちの総合窓口」としてあらゆる地域課題に取り組んでいくべきで、そのためには、積極的に庁舎の外に出て、町民と対話しながら事業を進めていくこと、そして職員自身が楽しく取り組み、町民も関わりたくなる環境をつくることが重要だと考えています。東川町では、町民の提案に対して、できない理由を探して断るのではなく、積極的に耳を傾け、まずは受入れるという姿勢があり、その感覚はとても大事だと感じます。

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庁舎の外に出て住民と対話すると、自ずと次の道筋が見えてくる

ひとづくりを軸にしたまちづくりをしたい

地域おこし研究員として大学院進学を決意したのは、玉村教授から「もっと実践を深めることに価値がある。伊藤くんはすでに研究者なんだよ」と言われたことがきっかけでした。座学だけで終わることなく、実践から理論を積み上げるのがSFCの学びだということを改めて感じました。毎週の飛行機通学は、一般的に見たら珍しいライフスタイルだと思いますが、自分にとっては当たり前の生活になっています。一職員として働いているからこそ、酸いも甘いも実感できていますし、大学で学んだことを即座に仕事で実践できるので、授業がよりリアルで面白いです。インターネットで知り得る情報には限界はあるので、それ以上の答えを見つけるためには現地に足を運び、そこでの縁を大事にしながら、自分のやりたいことを模索していくことが大切だと感じています。地域おこし研究員として、地域の現場に身を置きながら、大学院で学ぶことは、非常に魅力的な制度だと思います。

東川町と地元・鷹栖町は、立地や人口構成など多くの面で似ています。今は東川町で活動しながら、そのまちづくりを学んでいますが、将来的には鷹栖町で町長になり、子どもたちが成長する上で必要とする機会が、当たり前に享受できる「人づくり」を軸としたまちづくりに取組みたいと考えています。私が今、東川町で取り組んでいるのは、町外に出て行っても、町とのつながりを大切にしてコミュニティをつくり、ふるさとに関わり続ける仕組みづくりですが、これは「人づくり」を持続可能にするという試みでもあります。

私の人生のポリシーは「現地・現物・対話」にあります。時間の許す限り足を運び、現地の風に触れ、モノに触れ、対面でコミュニケーションを取ることです。これは常に学ぶという姿勢の表れであり、これからも立ち止まることなく前進し続けたいと思います。

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インタビュー・文:松浦生
(2024.09.25)

参考