Researcher

当たり前の暮らしの中に健康づくりを

藪内 真由(やぶうち まゆ)

福岡県出身。看護師・保健師免許取得後、2002年に聖マリア病院へ入職し、新生児集中治療室(NICU)に勤務。生命の誕生と成長を支える現場で、予防の重要性を実感した。2010年より大刀洗町役場に入職し、特定健診や保健指導に従事する中で、成人期から生活習慣を変えることの難しさに直面。日常生活の中に自然と健康づくりの視点が組み込まれた環境づくりの必要性を強く感じるようになった。特に関心を抱いてきた幼児期の健康づくりに着目し、幼児期肥満の予防について学びを深めている。2025年9月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程に入学。地域において健康づくりが当たり前となる社会の実現を目指す。

2021年7月 大刀洗みらい研究所 研究員 就任
2025年9月 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程 入学
2025年9月 地域おこし研究員 就任(第31号、大刀洗町)
NICUで感じた「退院後の暮らし」への問い

私は以前、病院のNICU(新生児集中治療室)で働いていました。小さく生まれた赤ちゃんや、医療的ケアが必要な子どもたちと向き合う日々の中で、いつも気になっていたのは、「この子たちは退院したあと、地域でどんな生活を送るのだろう」ということでした。命を守ることはできても、その先の暮らしまで見届けることはできない。そのもどかしさがありました。

地域での生活に関わりたいと思い、行政の保健師として働く道を選びました。病院が「来る人を受け入れる場所」だとすれば、行政は「来ない人のもとへ出向いていく場所」です。訪問や健診を通して家庭に入り込み、生活全体を支える。その役割の違いは大きく、現場に出て初めて見える課題もたくさんありました。

ただ、行政に入ってからは成人保健の業務が中心で、母子分野に関われない時期が続きました。母子の健康づくりに取り組みたいという思いがありながら、それが叶わないもどかしさを抱えていたことも事実です。

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幼児の肥満という地域課題との出会い

転機になったのは、慶應義塾大学SFCと大刀洗町が連携して「大刀洗みらい研究所」が立ち上がったことでした。研究員として活動できる環境が整い、母子保健に本格的に取り組むことができるようになりました。

大刀洗町では、幼児の肥満割合が高いという課題があります。調査を進める中で見えてきたのは、単に食べ過ぎや運動不足といった単純な問題ではなく、家庭の生活習慣や地域の環境が複雑に絡み合っているということでした。

成人保健の現場では、生活習慣を変えることの難しさを何度も目にしてきました。血圧が高いから食事を変えましょうと言っても、長年の習慣はそう簡単には変わりません。だからこそ、「大人になってから変える」のではなく、「いつもの生活の中に健康的な習慣が身についていればいいのではないか」と考えるようになりました。

たとえば地域によっては、子どもの頃からお茶でうがいをする習慣が当たり前になっている場所もあります。誰かに言われてやるのではなく、生活の一部として自然に続いていく。健康づくりも同じように、日常に溶け込ませることができればよいのではないかと考えました。

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「教える」から「できる」に変える道具

そこで取り組んでいるのが、「まほうのどうぐ開発プロジェクト」です。行動経済学の「ナッジ理論」という、行動変容を「そっと後押し」して促すための理論などを参考にしながら、努力や我慢ではなく、自然と健康的な行動を選びたくなる環境をつくることを目指しています。

食の分野では、三色食品群を意識した食事ができるよう、食品メーカーと協力して、色分けされたランチョンマットを開発しました。保育園で子どもたちに教えると、家庭でも話題になり、献立を考える際に三色のバランスを意識する保護者が増えました。アンケートでは約7割の家庭が「意識するようになった」と回答しています。

しかし、意識が変わっても行動が伴わないという課題も見えてきました。幼児は一日三食に加えて「補食」をとりますが、その多くがお菓子になっているケースが少なくありません。本来、補食は栄養補給の役割があるはずですが、糖質や脂質が中心になり、将来的な肥満の要因になり得ます。

そこで、間食を選択する場面に着目し、地域の買い物店舗と連携した健康づくり事業を構想・実践しています。こども自身が作成する「間食MAP」を親子で確認し、さらに「間食カレンダー」を活用して日々の間食を振り返ることで、間食の本来の役割や適切な摂り方について考える機会をつくっていこうと考えています。また、買い物の場そのものを学びの機会と捉え、親子で一緒に食材を選ぶ体験を大切にし、選択の過程で自然に生まれる会話が理解を深め、主体的な行動変容へとつながる環境づくりを目指しています。

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足から始まる運動機能の改善

運動についても、単に「外で遊びましょう」と言うだけでは不十分だと感じています。保育園で子どもたちの様子を見ていると、そもそも踏ん張る力や体のバランスが悪い子どもが多いことに気づきました。足の指が浮いてしまい、本来できるはずの動きができない状態です。

そのため、足の機能そのものを整える活動を始めました。フットコーディネーターの資格を取得し、保育園で足指体操や遊びを継続的に実施しています。木製のコマを足でつかむ遊びや、指を使った競争など、楽しみながら自然に鍛えられる工夫をしています。

年少から続けている子どもたちは、年長になる頃には明らかな違いが見られるようになりました。日常の中に組み込まれた小さな積み重ねが、大きな変化につながることを実感しています。

さらに、運動分野でも企業との連携も進めています。スポーツ用品店と協力して子どもの足に合った靴を選ぶ環境を整えたり、木育の視点から玩具メーカーと、足指の機能を整える「足指コマ」を開発したりと、行政だけではできない取り組みを広げています。

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親子の対話が生む行動変容

取り組みを続ける中で強く感じているのは、子どもだけに働きかけても不十分だということです。家庭、とくに保護者の理解と関与が不可欠です。

たとえばランチョンマットは、家庭内だけでなく保護者同士の会話のきっかけにもなっています。「使ってる?」という何気ないやり取りが、地域全体での意識の共有につながり、行動変容を後押ししていると感じています。

また、保護者側から「こんな道具があれば助かる」と新たな提案が出てくることも増えてきました。行政が一方的に提供するのではなく、地域の中で育っていく仕組みになりつつあると感じています。

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地域に根づく健康づくりを目指して

もちろん、私の取り組みだけでは解決できない問題も多くあります。医療的ケアが必要な子どもの受け入れ先不足など、制度や社会全体に関わる課題にも直面します。それでも、目の前の家庭にできることを積み重ねるしかありません。

大学院での学びと実務の両立は決して楽ではなく、早朝に起きて課題に取り組む日々が続いています。それでも、現場で感じた疑問を理論で確かめ、再び実践に戻すという、理論と実践の両輪で活動を前に進める日々はとても充実しています。

健康づくりには終わりがありません。だからこそ、特別な努力をしなくても、日常の中で自然と健康が育まれていく仕組みを地域に残したいと思っています。

子どものことならこの人に聞けば大丈夫だと思ってもらえるような、地域に信頼される保健師でありたい。そして、「当たり前の暮らし」の中に健康が根づく社会を、これからも現場からつくっていきたいと考えています。

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インタビュー・文:松浦生
(公開:2026.03.31)

参考